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アメリカ生活回想記6:南イリノイ、カーボンデールの生活

こんにちは
今日は6年住んだカリフォルニアを抜け、南イリノイの大学院に来てからの留学の話。今日はまず始めにカーボンデールというど田舎に来たところから話します。

学校を選んだ理由:
僕は研究を将来していこうと大学を卒業する前に決めて、一緒に働きたい教授を探していました。正直卒業する時に日本の企業の内定をもらっていました。何ヶ月か悩んだ末、自分がどんな結果になっても後悔しない道を選ぶと言う事で「やりたい事」を一番に考て選びました。さらに、もう一つの条件がありました。お金が一切なかったのです。授業料払うお金どころか生活費もなかったです。それは数年前からわかっていた事なので、いい成績を残すようにしていたし、インターンを一杯して、アメリカ人と同等に戦えるだけのものを時間をかけて作り上げました。
だから、大学院に入るときは、大学院で働かしてくれる、生活費をくれる、授業料を全額免除してもらう、という3つの関門を突破できたとこだけを選びました。その中で最終的に3つ大学がその3つを突破。結局、教授も一番よくて、給料も一番よかった大学院を選びました。

田舎での生活:
田舎での生活はカリフォルニアとは全く別ものでした。カリフォルニアはひとつの特殊な国なので、あれを典型的「アメリカ」というには少し違うかもしれません。

初めて来る時、乗り継ぎ乗り継ぎで最終的にこんな飛行機に乗せられて。落ちるとしか思ってなかったし、「荷物が入らんから、ごめんねー、次の飛行機で運ぶから、何日かしたら空港に取りにきてー」ってな感じで、異空間体験突入ゾーン。

南イリノイにはアジア人はほとんどいませんし、本当に外人として扱われます。僕は毎学期3つのクラスを任せてもらい教えています。学校のほとんどは白人と黒人で、僕の生徒のほとんどは英語が第一言語じゃない人に教えられるのは初めてと言う生徒達でした。今のところ2年間外で日本人と会った事ないですし、話した事もありません。友達にいろんなところに連れて行ってもらいましたが、どこへ行っても目立ちます。だいたい次の日生徒にどこにいたか当てられます。差別に敏感な人はちょっと住みづらいかも知れないですね。僕は珍しいと言う事を逆手に取って逆にすごい楽でしたし、厳しいジョークもべつに何も思っていませんでした。ちょっと面白い事を言っただけで「こいつはノリのわかるやつ」って思われるし、いやでも目立つので目立つのに苦労はいりませんでした。

引っ越しするときは、自分がどういった性格でどこまでその暮らしに対応できるかを考えないといけないんだなって思います。でも、やる事がなさすぎて勉強できますし、自然が豊でいいですよー。住めば都です。さらに、日本語を話す機会がないので英語の伸びは確実に良いと思います。カリフォルニアでずっと夏を6年間感じてきたので冬の厳しさを東で味わうのも悪くありません。ま、今日はこんなところで。

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