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カリフォルニア、サクラメントの生活、2008年回想記

こんにちは
昨日、一つのクラスを教え終えて、今日から一週間の休みがあります。まぁ、休みと言っても教える授業が休みなだけで、僕は別に休まないんですが。とにかく一週間教えなくていいので、時間が大分あります。ということで、アメリカに来た2008年からちょっと振り返ってみて、色々アメリカ生活について紹介させてもらいます。

僕がアメリカに初めて来て初めて住んだ場所は北カリフォルニアのサクラメントという田舎町でした。といって、一応州都。でも、別にこれと言って何もない町です(写真はアーノルドシュワルツェネッガーが州知事になった時に見学に行った時に撮りました)。

2008年、8月21日、木曜の夕暮れに到着して、金曜の朝、速攻学校に行ってアセスメントテストという英語と数学の試験を受けました。さらに、まだ入学手続きをしていなかった僕は、ホームステイ先の人の権力を思いっきり行使し(当時の留学生を扱う部門のボスが、僕のホストの昔の生徒だったのです)、そこにぶち込まれました。

そして、次の月曜から授業。授業ははっきり言って全くわかりません。宿題もわかりません。何も聞こえないし、しゃべれない。3日前まで大人だと思っていた22歳の自分は、ただの大きいあかちゃんでした。さらに、ホストのスパルタ笑。携帯は与えられず、地図も与えられず、小さなメモ書きにバス2回と電車の乗り継ぎを書かれて、一回一緒に連れて行ってもらって、その次の日から自分で行け、と笑。

あまり良い地域に学校があったわけではなかったので、今考えると、車で行かないと危なかったと思います。駅で待つたびに黒人はマリファナを売ろうと必死に話してくるし、殴り合いの喧嘩をなぜか駅でしてるし、浮浪者もたくさん。電車の中では毎日警察に取り押さえられてる黒人、せっせとタッパーに入れたマリファナの草を紙に包んでたばこ作りにはげむ人、自分のラップを売りつけてくる人、おかしな人、そんな中で毎日1時間以上バスと電車を乗り継ぎ行っていました。

ホストの考えから、留学生が取るようなクラスは取るなと言う事で、普通のクラスを取っていました。僕は近所にあるカフェで閉店の11時まで毎日ずうううううっとそこで勉強していました。教科書1ページ読むのに45分くらいかけて、辞書引きながら。

でもここの近くにサクラメント州立大学という別の大学があったので、そこから来る人たちと後に出会って行くんですね。だから、まぁ思い出の詰まったカフェです。そして、サクラメントにはこういったカフェが一杯ありました。土地が広くて安いので中も広々とした店が一杯あったんですね。後にLAの方に引っ越してわかることなんですが。

そして、「芸は身を救う」って言うんですか。いやいや続けていたピアノが僕の人生を救う事になりました。一般教養のひとつで音楽のクラスを取っていました。そこで、生徒は練習用にピアノルームに入っていいんですね。伝えたい事は伝わらない、言っている事がわからない。常に気を張っていた毎日に唯一一人になれたのがこの部屋でした。そこで、好きだったジブリの曲を弾いていたんです。じゃぁ、部屋から漏れた音でいろんな人が話しかけてくる毎日でした。当時「ピアノマン」と呼ばれてた時もありました笑。

一芸は持っておくものですね。そんな風に一年が過ぎて行きました。

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